古/いにしえの面影       其の一阡六百参拾五
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2021年10月02日 土曜日
アップ日  2025年01月22日 水曜日

和歌山県紀の川市桃山町調月(大歳神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

調月の大歳神社祭神は、大市姫命で素盞鳴命の御子で兄神は、大国主命、
弟は五十猛命の妹神、次に宇迦の御魂神を生し給える事と『古事記』に書いてある。
『神名帳』に伊勢国安農郡にある大市神社と同神である、故に大歳神を負えるなり。
大歳神とは、大市比売神にて御名は天照大神より賜った名なり、
大は称名、年は田寄にて、穀を取収る事なり、大歳は五穀の事に大なる功座の神様である。
大歳神は御父神の勅を奉じて、筑紫の国より五穀を播き始め、全国限なく播種し終り、
当地に鎮り給う、当地最古の神である。
天皇の朝紀の男磨呂宿稗調月は、当郷にきたり開拓し調月郷と名づけ耕作の道を教え、
五穀豊作を祈らんが為、即位11年当地今山(今日の今上谷)称名ごろさわに、
大歳明神を祭り、当地より千数百年、其の後神亀3(726)年正月聖武天皇古野より
当社へ御祈願あり、以来天平年間、行基菩薩の発願により神殿其の他を建立する。
天平年間行基菩薩は、元は金屋谷にありし大日寺を今日の寺前に移した。
又、大日寺の昔の瓦の巴のところに揚羽の蝶に下に月の模様がある。
蝶月すなわち調月なるべしとある。
釣鐘の築鐘は、今から約700余年前建治3(1277)年鋳造で、
鎌倉時代の物にて県文化財に指定されている。
鐘の銘に「紀州吉仲御庄大歳宮の鐘なり 
建治三年鎌倉時代丑九月十四日、大工河内国平重永」とある。
寛治4(1090)年後白河法皇熊野大社参拝の御時、当社へ臨幸あり、
又平清盛熊野社参拝下向途次、当神社へ参拝したりと、
古文書高野山下附の書巻物に明記されている。
(和歌山神社庁HPより)


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丘に成っています。
イシグロ塀が目につきます。
前には

※はいポーズ!

石垣でも細かい意匠



少し見下ろせます~

※此処にも~

大日寺サン

※鐘楼

この石碑も気に成りますが~

※紀の川市立調月小学校
1876年(明治9年)4月 - 那賀郡調月村に位置する大歳神社の神宮寺に、調月小学校として開校。
1892年(明治25年) - 神宮寺から西隣の地に新設移転。
1896年(明治29年)3月 - 調月尋常高等小学校に改称。
1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、調月国民学校と改称。
1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、調月村立調月小学校と改称。
1956年(昭和31年)8月1日 - 調月村が周辺1町1村と合併し桃山町が発足したのに伴い、
桃山町立調月小学校と改称。
1982年(昭和57年)4月 - 校舎を新築。
2005年(平成17年)11月7日 - 那賀郡5町合併による紀の川市発足に伴い、
紀の川市立調月小学校と改称。
(Wikipediaより)

脇に四つ足鳥居

※扁額

鍋蓋のような~

※稲荷社

イチイガシの鎮守の森を遊び場に
日月の歩み遅々たりし日よ
木下美代子



遷宮時の御座所とか~

※手水鉢

大歳宮正面鳥居

※扁額

百度石

※手水鉢

参道は池に架かる
太鼓橋渡って~

※弁天池では無い?

見返って~



先へ~

拝殿舎

※絵馬なんですが~
剥脱して絵が分からない…

明治期の
楼車寄付人名
地車ですかね?

参道石段には
奉納人名が~



池に支柱の有るエノキ~

由来記


 本殿舎

※境内風景~
 此処にもイシグロ

※社杜
大小合わせて約30本位のイチイガシの純林で
樹齢約500年前後の希少な老木が含まれている。
(紀の川市文化財マップより)

  境内風景

※梵鐘説明板

鐘楼



大工河内国が見えます。



石標



拝殿舎兼ねた社務所

※本殿舎

狛犬


※吽

裏側~


※吽

本殿舎正面

※見返って~

燈籠の竿

拝殿舎内

※御輿堂

境内摂社
千手観音・不動尊



イチイガシの社杜~

※一段上がっています。
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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