古/いにしえの面影       其の一阡六百九拾九
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2022年04月18日 月曜日
アップ日  2025年09月04日 木曜日

和歌山県紀の川市竹房(龍蔵院((西行法師生誕地の碑))
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉- 建久元年2月16日〈1190年3月30日〉)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士、僧侶、歌人。
西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。
憲清、則清、範清とも記される。西行は号であり僧名は円位。
後に大本房、大宝房、大法房とも称す。

和歌は約2,300首が伝わる。
勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)を
はじめとして二十一代集に計265首が入撰。
家集に『山家集』(六家集の一)、『山家心中集』(自撰)、『聞書集』。
その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、
『撰集抄』については作者と注目される事もある。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

UFO先生号で~

藤崎井用水
藤崎井用水は、江戸時代に大畑才蔵が開いた用水路で、
紀の川市藤崎で取水し和歌山市山口まで24kmを流下する大規模な用水路で、
約800ヘクタールの農地を潤しています。
(近畿農政局HPより)

龍門山横目に~
龍門山(りゅうもんざん)は、
和歌山県紀の川市にある標高755.9mの山である。龍門山脈の主峰。
古くから和歌山平野に位置する名峰として知られ、紀州富士と呼ばれている。
『紀伊国名所図会』に「府下より是を望むに、その形あたかも富嶽に似たり」と記されている。
紀の川市のシンボル的な存在で、関西百名山に選定されている。
日本固有の蝶であるギフチョウの南限の生息地として有名であったが、
1986年を最後に野生状態では見られなくなり、絶滅したと考えられている。
(Wikipediaより)

何だと思いますか?
寒さに弱いイチジクの冬越しです。

小さな御堂なんですが…龍蔵院さん

 

明算(めいざん、治安元年(1021年)- 嘉元元年11月11日(1106年12月8日))は、
平安時代後期の真言宗の僧。俗姓は佐藤氏。紀伊国那賀郡田中庄神崎邑の出身。
高野山中興、中院流祖。
1031年(長元4年)定誉(じょうよ)に師事して高野山で出家し、そののち中院に移った。
頼尋から伝法灌頂を受け、高野山御影供をはじめた。
ついで1064年(康平7年)山城国小野随心院で成尊に東密小野流を学び、高野山に戻って中院流を開いた。
以後生まれ故郷の紀伊国田中荘に龍蔵院を開き、1090年(寛治4年)には高野山検校に任じられた。
この間、奥院の拝殿や大塔を造営し、現在に通じる各種法要を始行するなど高野山の復興に尽力している。
嘉承元年11月11日、中院に於いて86才で入寂。
弟子には、良禅・教真・明範・眞譽・明寂(みょうじゃく)などがいる。
(Wikipediaより)



西行の生誕地は佐藤氏の支配した紀伊国田仲荘(紀の川市)であるとする説と、
佐藤氏の生活の基盤は京都にあり京都が生誕地であるという説がある。
(Wikipediaより)

※竹馬と
杖にも今日はたのむかな
わらは遊びを思い出でつつ

 願わくば
花のしたにて春死なむ
その如月の望月のころ

※八重桜ですね。

国道424号沿いに
モニュメント

歎けとて
月やはものを
思はする
かこち顔なる
わが涙かな

※説明文

落ちたんと違いますよ!!
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.