其の一阡六百九拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2021年11月27日 土曜日 アップ日 2025年07月17日 木曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 根来寺(根來寺、ねごろじ / ねごろでら)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山の寺院。 山号は一乗山。本尊は大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂の三尊。開山は覚鑁(興教大師)。 詳しくは一乗山大伝法院根来寺と称する。 室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、 寺領72万石を数え、1万余の根来衆とよばれる僧兵軍団を擁した。 また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧兵による鉄砲隊が作られた。 織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、 羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦い(小牧・長久手の戦い)においては徳川方に通じ、 留守であった秀吉方の岸和田城を襲ったほか、南摂津への侵攻を図ったことで 秀吉の雑賀攻め(紀州征伐)を招くこととなった。 根来寺は、鉄砲の生産地であった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが 各地で敗れ、1585年(天正13年)、秀吉軍は根来寺に到達。大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。 根来寺における戦いでは寺衆はほとんど抵抗を行わなかったため焼き討ちの必要性は薄く、炎上の原因は、 秀吉による焼き討ち、寺衆による自焼、兵士による放火など多説あるが、定かではない。 焼け残った大伝法堂は秀吉が信長の廟所として京都の船岡山に建立する予定であった 天正寺の本堂にするために解体して持ち去っていった。 しかし、天正寺は建立されず、部材は大坂の中津川沿いに持ってきたまま放置された。 現在の大阪市此花区伝法である。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
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