古/いにしえの面影       其の一阡六百九拾
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2022年01月03日 月曜日
アップ日  2025年07月17日 木曜日

和歌山県紀の川市竹房(百合山新四国八十八カ所巡りⅠ)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

「新四国霊場八十八ヵ所」とは江戸時代に多く作られた全国にあるミニ巡礼道のことです。
四国は昔の人々にとって遠くお金も時間もかかったため、
各地に「新四国八十八ヵ所」が作られました。
百合山の新四国霊場八十八ヵ所は、安政4年(1857年)にまず 阿字観音堂を建立し、
それを中心として開かれたとされています。
約6km巡礼道には1番〜88番までと番外の祠などが設置され、
四季を感じながら気軽に散策が楽しめるハイキングコースになっています。
(百合山の自然と遺跡を生かす会HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

第1番

※脇に餓死人塚の説明

 天明・天保及び以前の大飢饉供養碑
弘法大師像も~
江戸四大飢饉(えどしだいききん、えどよんだいききん)とは、
江戸時代に起きた長期にわたる冷害・旱魃・水害などの異常気象や害虫の異常発生、病害、火山噴火などでの
凶作の連続による飢饉の内、最も被害の甚大であったものをいう。

寛永の大飢饉 寛永19年(1642年)
- 寛永20年(1643年) 全国(特に東日本日本海側の被害が大)
徳川家光 全国的な異常気象(大雨、洪水、旱魃、霜、虫害)

享保の大飢饉 享保17年(1732年)
中国・四国・九州地方の西日本各地、特に瀬戸内海沿岸一帯 徳川吉宗 冷夏と虫害

天明の大飢饉 天明2年(1782年)
- 天明7年(1787年) 全国(特に東北地方)
徳川家治 火山噴火とエルニーニョ現象による冷害

天保の大飢饉 天保4年(1833年)
- 天保10年(1839年) 全国(特に東北、陸奥国・出羽国)
徳川家斉・徳川家慶 大雨、洪水と、それに伴う冷夏(稲刈りの時期に雪が降ったという記録がある)
(Wikipediaより)

※安政期の建立

 弘法大師像~







説明板

1番



羽端鹿助
紀北蠶絲(株)代表取締役
君は和歌山縣人羽端清三郞の長男にして明治十一年十一月を以て生れ
同四十三年家督を相續す曩に紀北蠶絲會社常務取締役にして
和歌山縣參事會員たりしが現時同會社代表取締役に擧げらる。
(名古屋大学大学院法学研究科HPより)



竹林の道



六地蔵尊
墓地なんですね。



桃畑も遠望し~



遊歩道碑



担ぎ屋さん?
この辺りのパラグライダーの聖地です。

※遍路道

少し荒れていますが~



2番



竹房橋遠望~

※パラグライダー着陸地点

3番



4番



5番



6番



7番



8番



9番



10番



11番


 
12番


 
 
13番


 
14番


 
15番


 
16番


 
17番


 
18番


 
19番


 
句碑
最初峰大師を抱いて青嶺なす


 
19番


 
遠き日の飢渇の里曲桃熟る


 
20番


 
21番


 
22番


 
23番


 
24番


 
役行者


 
25番


 
26番


 
27番



28番
 

 
29番


 
30番


 
31番


 


 
32番


 
33番



34番
 

 
35番


 
36番


 
37番


 
38番



39番


 
 
40番
番外奥の院


 
40番


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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