古/いにしえの面影       其の一阡六百四拾四
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2024年12月23日 月曜日
アップ日  2025年01月29日 水曜日

奈良県天理市福住町別所(婆羅門杉)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

天理市福住町に所在する下之坊(しものぼう)はもと普光院永照寺といい、長谷寺の末寺です。
この下之坊に上る参道石段の南北両側に、あたかも山門のようにそびえる
2本のスギの巨樹があります。
南北のスギはいずれも樹勢が盛んで、根張りの範囲は下之坊の境内全体に及んでいます。
樹齢は700 年から800 年とされていますが、詳細は明らかになっていません。
下之坊の大スギは県下でも有数のスギの巨樹であり、
なかでも北側のスギの形状は特異な生態を示す事例として学術的価値が高いものです。
また、下之坊の大スギは通称「婆羅門杉(ばらもんすぎ)」とも呼ばれ、
地域の人々によって今も大切に守り継がれています。
(天理市HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

参道からも大きな容姿が~

多くの多宝塔の頭が~

※南側のスギは北側のものと比べるとやや小さく、
幹周5.3メートル、樹高は36.2メートルあります。
北側のスギとは異なり、幹の分岐はなく直立しています。

(天理市HPより)

北側のスギは幹周7.4メートル、樹高は37.2メートルあり、
地上4.5メートルから5.0メートルのところで6本に分岐しています。
中央の2本の分岐幹は直立していますが、ほかの4本の分岐幹は
横方向に広がったのちに上方に直立しています。
4本の分岐幹の基部の断面は上下方向に長い楕円形になっています。
こうした幹の形状は、幹に大きな圧力がかかって生まれるものです。
(天理市HPより)



案内板

※下之坊本堂

参道風景
石段が根っこの影響で
持ち上がっています。

※北側の杉

暴れています。

※南側の杉

本堂側面

※境内風景

本堂正面

※案内板
中世までは上・中・下之坊、湯屋坊が有った
他は?

良辨(ろうべん、りょうべん、
持統天皇3年(689年) - 宝亀4年閏11月24日(774年1月10日))は、
奈良時代の華厳宗の僧。東大寺の開山。通称を金鐘行者といった。

持統3年(689年)、相武国造後裔の漆部氏の出身である漆部直足人の子として生まれる。
鎌倉生まれと言われ、義淵に師事した。
別伝によれば、近江国の百済氏の出身、又は、若狭国小浜下根来生まれで、
母親が野良仕事の最中、目を離した隙に鷲にさらわれて、
奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、
僧として育てられたと言われる。
東大寺の前身に当たる金鐘寺に住み、後に全国を探し歩いた母と30年後、
再会したとの伝承もある。
しかし現在では別人ではないかとされているなど、史実であるかは定かでない。
ただし、幼少より義淵に師事して法相唯識を学んだのは事実である。
(Wikipediaより)


弁手池でしょうか?

※杉の頂部

木造十一面観音像
十一面観音(じゅういちめんかんのん)、
梵名エーカダシャムカ (एकदशमुख ekadaśamukha)は、
仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の1つでもある。
頭部に11の顔を持つ菩薩である。
梵名は「11の顔」、「11の顔を持つもの」の意。
(Wikipediaより)

※鰐口

御堂の軒下状況



杉の脇にも御堂

※堂脇にも石物が~

杉の根元に地蔵尊


 
付近の県道沿いに梵字が書かれた石碑


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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