其の一阡六百参拾八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2021年10月02日 土曜日 アップ日 2025年01月22日 水曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 大多羅乳女神社 当神社は、貴志川町丸栖の中心に位置して境内地は550坪を有し御祭神として 伊邪那美命・市杵島姫命を斎き祀る。 古文書『當大明神宮留書』によると丸栖邑の氏神として正保元(1644)年からの 神社の経歴神事行事が詳細に書かれ、県史編さん室より貴重な史料とされた。 その中で丸栖地区の宮座の勢力の衰退と新興農民の台頭を示す史料として 「けち座」と称する宮座があり、座方と呼ばれる8人衆が村役人と共に共有山の支配をし、 宮座の新規参入を厳しく規制したとある。 又別の神社関係史にはその昔聖徳太子が物部守屋を攻め滅ぼした時に 当神社に戦勝の祈願をされたとの記述もある。 明治6年村社に列格、明治42年の神社合祀令にて北山中之坪才ノ神より市杵島姫命を合祀された。 御鎮座350年を記念して境内整備を昭和58年より5ヶ年計画で行い、本殿・鈴門・絵馬殿の改築と、 社務所・幣殿・拝殿の新築で計画を完成。 旧本殿は103年を経過、鈴門は唐破風造で桃山様式の建築物で町文化財指定の候補になったが 建立年不詳につき保留された。 御神体として寛文八(1668一)年三月銘記の御玉代が祀られ町文化財となっている。 亦攝社の祇園社のぎおん祭は大多羅乳女神社より古くから賑わい、 近郷近在より多数の参詣人で賑わう。 境内地の森はその昔「神の山」と称され何人も入る事がなかったとある。 (和歌山神社庁HPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
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