古/いにしえの面影       其の一阡六百参拾七
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2021年10月02日 土曜日
アップ日  2025年01月22日 水曜日

和歌山県紀の川市貴志川町前田(祇園神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

貴志川(きしがわ)は、紀の川水系最大の支流で和歌山県北部を流れる一級河川。
和歌山県伊都郡高野町の高野山西麓に源を発し、野上谷を西流したのち
海南市沖野々で北東へ大きく転じる。
合流点付近で北西流となり、紀の川市と岩出市の境界から紀の川に注ぐ。
流域の75%が森林であり、中流域には果樹園が、下流域には水田が広がる。

中流は住宅街にも面しているが、古くからホタルの名所として名高い
(旧・貴志川町のシンボルも蛍であった)清流として知られており、
市民、周辺住民による運動が盛んなエリアである。鮎釣りも盛ん。

かつては大池貴志川県立自然公園の指定範囲でもあったが、
生物、植生の多様性など特筆性に乏しいことから指定解除となった
(界隈には龍門山県立自然公園がある)。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

水辺の景色大好きです。

宮前水門

※堤防上

貴志橋渡って~

※貴志川なんです。

県道岩出野上線
古地図では船戸街道とか~

※鳥居が~

地蔵尊?

※これも多宝塔?

お邪魔して~

※石段の上に~

河岸段丘なんですわ。

※本殿舎~

燈籠



本殿舎の扁額
ありゃ~

※飾り瓦
鯱が載っています。

境内風景

※本堂脇

境内摂社



本堂前の石段に
杯状穴が~

※手水鉢

お邪魔しました~



石燈籠竿



県道を北進すると~
地蔵寺サン

※迫力有ります。

地蔵尊だけでなく
多宝塔や墓標も~



中西正規先生頌徳碑
中西先生は判らなかったので起筆された~
大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、
日本の政治家。2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として
3期を務めた。長男は前和歌山市長の大橋建一。

1971年の第26回国民体育大会(黒潮国体)では、紀三井寺公園をはじめとする
競技施設より道路などの一般インフラに重点を置いた対応を行った。
また、巨体でありながらフットワークがよく、あらゆる場所に足を運んだ。
ルバング島で小野田寛郎が発見された際、すぐに現地へ直行したことも話題となった。
(Wikipediaより)

北進します~

丸田川改修記念
紀州大水害(きしゅうだいすいがい)は、1953年(昭和28年)7月18日前後の
集中豪雨に起因する水害である。
和歌山県中部を中心として山崩れや崖崩れ、洪水が起こり、和歌山県史上最悪の
気象災害となった。28年水害、7.18水害などともいう。
貴志川水系
本流の紀ノ川でもあちこちで洪水が発生する被害があったが、
特に貴志川流域の被害は大きかった。
水位は約6m上昇し、各地で洪水、家屋が流出するなどが起き、
特に美里町の上神野、下神野、長谷毛原、国吉で被害が大きかった。
貴志川町と桃山町では堤防が決壊して本流が移動したため、洗堀個所が1ヘクタールに達した。

(Wikipediaより)

小型の水門



広い圃場



先は貴志川と合流しています。
その先は紀ノ川に~

※気に成る木ですが~

橋を渡って~


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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