古/いにしえの面影       其の一阡六百参拾一
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2021年08月22日 日曜日
アップ日  2025年01月17日 金曜日

和歌山県紀の川市粉河(粉河寺Ⅱ)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

草創時この方、粉河寺は多くの人達の信仰をうけて繁栄し、鎌倉時代には七堂伽藍、
五百五十ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有していたが、
天正十三年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失した。
その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、
江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成した。
(粉河寺HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

自転車なんで車道を迂回して~



中門(大門側)
三間二戸の桜門として標準的な規模をもち、軒まわりまで良質の欅材で
繊細な建物に仕上げている。天保三年(一八三二)の建立で四天王を祀る。
「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主、治宝候の直筆である。
(粉河寺HPより)



堂々とした字体

※細かい彫刻

西方広目天(梵: Virūpākṣa) - 西牛貨洲を守護する。
龍神、富単那を眷属とする。
(Wikipediaより)



北方多聞天(梵: Vaiśravaṇa) - 北倶盧洲を守護する。
毘沙門天とも呼ぶ。
原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天。
夜叉、羅刹を眷属とする。
七福神の内の一尊。
(Wikipediaより)


献灯

※見返って~

南方増長天(梵: Virūḍhaka) - 南贍部洲を守護する。
鳩槃荼、薜茘多(へいれいた)を眷属とする。
(Wikipediaより)


東方持国天(梵: Dhṛtarāṣṭra) - 東勝身洲を守護する。
乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
(Wikipediaより)


中門
本堂側

※庭園の向こうに本堂
 
粉河寺庭園(桃山時代)
本堂の前庭とその下の広場との高低差を処理する土留めとして、
又、その広場から雄大な本堂を仰ぎ見る前景として築かれた石組みで、
日本庭園の中でも先例のない様式である。
(粉河寺HPより)



句碑
水もさぞや 白き粉河の山桜
五橘亭

風猛(かぜらぎ)の 名に似ぬ里の小春かな
塊亭
五橘亭風圭は、紀州藩士 吉田半左衛門のことで、俳諧に親しみ、
文化11年(1814)に風悟松尾塊亭から二代を受け、天保2年(1831)11月に没した。

松尾塊亭(1732-1815)は、紀州藩士 松尾隆弘で、紀州俳壇中興の祖と称され、
門人数百人を数えたという。
文化12年(1815)に83歳で没した。
(ぐるりん関西HPより)

※達筆です。

本堂正面


ひとつぬきて うしろにおひる ころもがへ
松尾芭蕉句碑
 

本堂前の賓頭盧さん

※多くの永代月御膳 額

沢山あります。



境内風景

※本堂軒下風景

新型コロナの影響で
鰐口綱も収められてます。

※細かい彫刻

六角堂前の湯浅桜

※説明板

千手堂
宝形造りの三間堂、細部様式では本堂と一脈相通ずる面を持っている。
宝暦十年(一七六〇)の建立。正面に千住観世音菩薩両側の脇壇には
紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌を祀っている。
(粉河寺HPより)

※丈六堂
丈六とは一丈六尺(立像の場合)の大きさに作られた仏像のことですが、
結跏趺坐(けっかふざ:「あぐら」の意)の姿に造られるので、
座高は八乃至九尺(約2.4~2.7m)が標準となるそうです。
 
結跏趺坐

青銅製の燈籠



本堂前風景

※側面

踞木地のクスノキ

※案内板

風鐸(読み)フウタク
仏堂や仏塔の軒の四隅などにつるす青銅製の鐘形の鈴。宝鐸。
(コトバンクより)

※鐘楼
 
多くの無縁墓標


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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