自転車なんで車道を迂回して~
※
|
中門(大門側)
三間二戸の桜門として標準的な規模をもち、軒まわりまで良質の欅材で
繊細な建物に仕上げている。天保三年(一八三二)の建立で四天王を祀る。
「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主、治宝候の直筆である。
(粉河寺HPより)
※
|
堂々とした字体
※細かい彫刻
|
西方広目天(梵: Virūpākṣa) - 西牛貨洲を守護する。
龍神、富単那を眷属とする。
(Wikipediaより)
※
北方多聞天(梵: Vaiśravaṇa) - 北倶盧洲を守護する。
毘沙門天とも呼ぶ。
原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天。
夜叉、羅刹を眷属とする。
七福神の内の一尊。
(Wikipediaより)
|
献灯
※見返って~
|
南方増長天(梵: Virūḍhaka) - 南贍部洲を守護する。
鳩槃荼、薜茘多(へいれいた)を眷属とする。
(Wikipediaより)
※
東方持国天(梵: Dhṛtarāṣṭra) - 東勝身洲を守護する。
乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
(Wikipediaより)
|
中門
本堂側
※庭園の向こうに本堂
|
粉河寺庭園(桃山時代)
本堂の前庭とその下の広場との高低差を処理する土留めとして、
又、その広場から雄大な本堂を仰ぎ見る前景として築かれた石組みで、
日本庭園の中でも先例のない様式である。
(粉河寺HPより)
※
|
句碑
水もさぞや 白き粉河の山桜
五橘亭
風猛(かぜらぎ)の 名に似ぬ里の小春かな
塊亭
五橘亭風圭は、紀州藩士 吉田半左衛門のことで、俳諧に親しみ、
文化11年(1814)に風悟松尾塊亭から二代を受け、天保2年(1831)11月に没した。
松尾塊亭(1732-1815)は、紀州藩士 松尾隆弘で、紀州俳壇中興の祖と称され、
門人数百人を数えたという。
文化12年(1815)に83歳で没した。
(ぐるりん関西HPより)
※達筆です。
|
本堂正面
※
ひとつぬきて うしろにおひる ころもがへ
松尾芭蕉句碑
|
|
本堂前の賓頭盧さん
※多くの永代月御膳 額
|
沢山あります。
※
|
境内風景
※本堂軒下風景
|
新型コロナの影響で
鰐口綱も収められてます。
※細かい彫刻
|
六角堂前の湯浅桜
※説明板
|
千手堂
宝形造りの三間堂、細部様式では本堂と一脈相通ずる面を持っている。
宝暦十年(一七六〇)の建立。正面に千住観世音菩薩両側の脇壇には
紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌を祀っている。
(粉河寺HPより)
※丈六堂
丈六とは一丈六尺(立像の場合)の大きさに作られた仏像のことですが、
結跏趺坐(けっかふざ:「あぐら」の意)の姿に造られるので、
座高は八乃至九尺(約2.4~2.7m)が標準となるそうです。
|
結跏趺坐
|
青銅製の燈籠
※
|
本堂前風景
※側面
|
踞木地のクスノキ
※案内板
|
風鐸(読み)フウタク
仏堂や仏塔の軒の四隅などにつるす青銅製の鐘形の鈴。宝鐸。
(コトバンクより)
※鐘楼
|
多くの無縁墓標
※
|