古/いにしえの面影       其の一阡六百弐拾九
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2021年08月22日 日曜日
アップ日  2025年01月15日 水曜日

和歌山県紀の川市粉河(大神社の楠)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

紀伊続風土記に「境内に樟の大樹あり周囲三丈五尺許」とあり、
古くからその巨大な姿を見せていた。
樹齢1000年、樹高20m、目通り幹周11.42mと記され、
和歌山県下の中で第三位の大きさといわれている。
(紀の川市文化財マップより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

独立樹ですが立派な
社叢を構成しています。



クスノキ(楠・樟、学名: Cinnamomum camphora)とは、クスノキ科ニッケイ属の樹木である。
材は、古木になるほど年輪が入り組んで、材のひき方によって様々な模様の杢が現れる。
枝分かれが多く直線の材料が得難いという欠点はあるが、虫害や腐敗に強いため、
古来から船の材料として重宝されていた[35]。古代の西日本では丸木舟の材料として、
また、大阪湾沿岸からは、クスノキの大木を数本分連結し、舷側板を取り付けた
古墳時代の舟が何艘も出土している。
その様は、『古事記』の「仁徳記」に登場するクスノキ製の
快速船「枯野」(からぬ)の逸話からも窺うことができる。
室町から江戸時代にかけて、軍船の材料にもなった。

仏像の材料としても使われた。
木像の原料となる木は時代によって異なり、クスノキを原料とするものは
比較的古く飛鳥時代ごろのものが多いとされる。
玉虫厨子は主にヒノキ材で作られているが、蓮の花の部分だけは
クスノキ材が使われているという。
(Wikipediaより)




手水鉢

※銘入りの敷石


安永期の石燈籠



県下3番目の大きさの樹周り

※台風被害でしょうか?

狛犬


※吽

当神社は粉河寺大門の近くに鎮座し創立年代は不詳であるが、
天正年間藤堂高虎が、猿ヶ丘城粉河秋葉山に在城の際、氏神として崇敬された神社で、
高虎が伊勢へ転封の節、現社殿を改築したと伝えられ、
現在社殿の装飾の一部に室町時代彫刻の遺風が残され、
更に神木と称される大楠樹が周囲を圧して聳立し、天然記念物として樹令千年余と推定され、
この社が古社であることを自ずと証している。
この神社の氏子は粉河町大字粉河の北に位置する北町の住民であるが、
北町は古くから粉河寺及び鎮守の産土神社との結びつきが強く、
粉河祭に彩どりを添える山車運転には、この北町の山車が最初に運転されて、
各町内の山車が運転されるというルールが今も守られている。
この神社には、古来より旱天続きの時、雨乞いの人形劇が奉納された。
それは江戸時代から明治初年頃まで行われたという(明治以降は行われていない)。
雨乞いデコと当時の人々に呼ばれ、大きな座のものを雇うと費用がかさむため、
伊都郡九度山あたりの素人を招いたという。
デコは三ツか四ツでそれは本式のもので、題材はその時、その時に応じたものであったという。
鳴りものは箱をたたいて鳴りものとしたというから当時の庶民の心情が偲ばれる。
例祭日には投餅の行事も行うが、昔は神前でつき上げ奉納し投げたものであるが、
近年は手搗きする人が少なくなり、業者による餅を奉納している。
(和歌山神社庁HPより)



花鳥の彫物



粉河寺大門の脇に~
小さな御堂
善光寺サン

※手水鉢

福聚橋
親柱

※参道の赤い橋でしょうか?

正面から~

※天女図

天女図他にも~



脇の地蔵堂

内部の立石と

※地蔵尊
 
御堂脇の梵字立石と墓石

向かいの蛭子社

※正面
 
お邪魔して~


 
真新しそうな石燈籠と手水舎
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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