其の一阡六百壱拾二
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
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撮影日 2020年08月12日 水曜日 アップ日 2023年07月11日 火曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 粟鹿神社(あわがじんじゃ)は、兵庫県朝来市山東町粟鹿にある神社。 式内社(名神大社)、但馬国一宮または二宮。旧社格は県社。神紋は「抱き茗荷」。 創建について『粟鹿大明神元記』では、第11代垂仁天皇の時代に、 天美佐利命が荒振る神であるために大彦速命が朝廷に申し出て祀ることとなり、 大彦速命の曾孫が「神部直」の氏姓を賜って但馬国造に定められたとする。 天正年間(1573-1592年)には豊臣秀吉により社領を没収されたのち、 慶長元年(1596年)に粟鹿村内から33石余が与えられている。 明治維新後、明治5年(1872年)に近代社格制度において郷社に列し、明治12年(1879年)には県社に昇格した。 1999-2004年度(平成11-15年度)には境内付近(粟鹿遺跡)において 春日和田山道路(北近畿豊岡自動車道)建設に伴う発掘調査が実施され、 粟鹿神社関連と見られる古代の公的施設(着到殿か)や中世の石敷参道が検出されている。 主要社殿のうち本殿は、明治13年(1880年)の造営。 桁行三間・梁間二間の流造である。本殿前に接続する拝殿は、桁行四間・梁間三間である。 本殿裏には小丘があり、神社側では「御陵」・「神墓」・「御塚」として日子坐王の墓と伝える。 小丘の周囲には空濠のような地形も認められるが、未調査のため古墳であるかは詳らかでない。 (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
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