古/いにしえの面影       其の一阡六百壱拾
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2020年08月12日 水曜日
アップ日  2023年07月05日 水曜日

兵庫県養父市大屋町蔵垣(かいこの里交流施設)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

養蚕の起源は中国とされ、日本へは弥生時代頃に伝えられたとされる。
「魏志倭人伝」には桑の栽培から、養蚕、製糸、機織に関する記述がみられる。
日本各地に養蚕が広まるのは7世紀から8世紀とされている。
8世紀頃には租庸調の調を絹で納める国(武蔵国など)があった。
絹織物は遣唐使などの交易においても交換材となった。
鎌倉時代に入ると幕府が御成敗式目で「桑代」として養蚕に課税を行っている。
また、交易の場所となる鎌倉七座の一座として絹座が設けられた。
しかし、本格的な養蚕の開始はさらに時代が下り江戸時代からとされている。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

モスラ?



遠く天滝が見えます。

※記念館入口

 

上垣 守国(うえがき もりくに、宝暦3年(1753年) - 文化5年8月19日(1808年10月8日)は、
江戸時代中期から後期にかけての養蚕家、蚕種商人。
通称は伊兵衛、号は仙栄堂。
但馬養父郡蔵垣村の庄屋の家に生まれる。
奥州など各地に蚕種の仕入れに出掛け、但馬種の蚕を創出した。
享和2年(1802年)に著した『養蚕秘録』は最も代表的な江戸時代の養蚕書である。
(Wikipediaより)

※くらがきマップ

二階は養蚕場




2階・中3階
蚕も家族だったんですね。

※農具も~




大八車

※駐車場は在ります。

もう一度~

※蔵垣の集落風景

地蔵尊がまとめられ~



裏は休憩所

※ハス畑も~
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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