古/いにしえの面影       其の一阡六百八
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2020年08月12日 水曜日
アップ日  2023年07月05日 水曜日

兵庫県養父市吉井(中瀬金山)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

中瀬鉱山(なかぜこうざん)とは、かつて兵庫県養父市中瀬(旧関宮町中瀬)にあった鉱山。
中瀬金山(なかぜきんざん)とも呼ばれる。
近畿地方最大の金山であり、特にアンチモンの産出量は日本一であった。
第三紀火山活動に伴う浅熱水性鉱脈鉱床で、
金・銀と共に多量のアンチモンを産出した日本の金山としては特異の鉱床の一つ。
なかでも金は、富鉱部で数千グラムにも及ぶ美麗な自然金として産出した。
中瀬産自然金は現在スミソニアン博物館(国立自然史博物館)に展示されている。
天正元年(1573年)、因州(鳥取県)の旅人が八木川の大日淵で砂金を見つけ、
山師を連れて探鉱したところ金鉱脈を発見したことが鉱山の始まりとされる。
天正10年(1582年)、生野奉行の支配下に入り、豊臣政権の蔵入地となる。
慶長3年(1598年)の運上金の記録によると、中瀬を中心とする但馬は127両で全国第6位の規模であった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

昭和40年頃になり鉱脈が枯渇し始め、採算性が悪化したため、
昭和44年(1969年)9月をもって閉山、約400年の歴史に幕を閉じた。
閉山後もアンチモンの製錬部門は輸入鉱石を原料として操業を継続した。
現在では海外からアンチモン地金を輸入し、三酸化アンチモン等のアンチモン製品の製造を行っている。
(Wikipediaより)



鉱山ガラ~



植林の中に石垣が…
棚田の跡か?
住居跡か?

※未だ金鉱が??

山の神様



地蔵尊?
大師像?



八木川と出合川の合流部
出合地区

※鉢伏山方面

轟地区通って
次の目的地へ~


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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