鉱山の名残の鉱石を使った
ブロック塀
※受付・休憩所
ありゃ~
新型コロナウイルスで休館…
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明治初期に建てられた
日本人鉱山職員宿舎ですと~
石州瓦と弁柄の名残
前には~
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静かなたたずまい
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新しい住宅が~
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東西に走るR429沿いに町が広がっています。
北側には寺町の様相~
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口銀座の町には東側から本行寺・妙詮寺・禅操寺・饗徳寺
・金蔵寺・西福寺・東西寺・東西寺・来迎寺…
山名氏(やまなうじ、やまなし)は、武家・華族だった日本の氏族。
山陰地方を中心に勢力を持った守護大名・戦国大名だったことで知られる。
江戸時代には交代寄合だったが維新後に但馬村岡藩を立藩して大名となり、華族(男爵)に列した。
(Wikipediaより)
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多くの人々が、この谷間の町に集まったんですね。
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フランス人鉱山師ポール・レムス氏の娘さん~
お雇い外国人(おやといがいこくじん、御雇外国人)は、幕末から明治
にかけて日本政府や各府県などによって雇用された外国人。
人々は欧米の技術・学問・制度を導入して「殖産興業」と「富国強兵」を推し進める目的で雇用されていった。
当時の日本人の中からは得がたい知識・経験・技術を持った人材で、
欧米人以外に若干の中国人やインド人もいた。
官庁の上級顧問だけでなく単純技能者もいた。お抱え外国人とも呼ばれることもある。
(Wikipediaより)
※本行寺さん
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見返れば南方向
市川を挟んで~
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R429(下小路通り附近)
東方向(青垣方面)
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三菱マテリアル
生野クラブ
朝来市生野町にある「生野クラブ」は、明治19年に鉱山経営者松本林右衛門の
邸宅として建築されました。
その後、保養施設や迎賓館として使用され、現在は国重要文化的景観の
景観重要建築物として公開施設となっています。
当時の趣を今なおそのままに残し、静かにたたずむこの建物を再びよみがえらせ、
まちに活気を取り戻すため、この建物を活用して事業やイベント等で利用をしたい方を募集します。
(朝来市公式HPより)
※朝来市旧生野鉱山職員宿舎
甲7号棟
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朝来市旧生野鉱山職員宿舎
甲8号棟
明治元年(1868年)、生野鉱山が我が国初の官営鉱山となり、
政府はフランス人鉱山技師を招聘するなど近代化を進め、
町内には外国人たちが暮らす洋館のほかに、日本人用の官舎も造られました。
明治29年(1896年)には当時所管であった宮内省から三菱合資会社に払い下げられ、
以来三菱の鉱山として栄えてきました。
朝来市旧生野鉱山職員宿舎には4棟の建屋、甲7.8.9.19号棟があります。
甲7号、8号、9号の3棟は官営鉱山であった頃の明治9年(1876年)に官舎として、
19号棟は明治29年に三菱の社宅として建てられた、
生野に現存する職員住宅のなかでも最も古く日本近代の生活様式を残す貴重な遺構です。
(生野NAVIより)
※この日お休みでした~残念!
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少しだけ通りから~
※平屋に広い庭
懐かしい~
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お隣とも適度な距離が…
現代建築では豪邸ですね!
※日本建築玄関
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縁側風景~
※簡易的ですが
昔の侍屋敷にも似ています。
01 02
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※お待ちどうさま~
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三菱マテリアル生野事業所
三菱合資会社の炭鉱部、鉱山部、研究所が独立し
1918年(大正7年)4月に設立された。本業の高島炭鉱・大夕張炭鉱などの炭鉱経営、
生野銀山などの金属鉱業の他に採掘した石炭を輸送するために地方鉄道事業も行っていた。
雄別炭礦鉄道は傍系会社であった。
(Wikipediaより)
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生野町奥銀谷辺り~
※口熊野附近
和洋折衷家屋
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但陽信用金庫会館(たんようしんようきんこかいかん)は
兵庫県朝来市生野町にある美術館・音楽ホール。
新館と本館があり、一般にオフィス棟と研修(宿泊)棟で構成される本館は
但陽会館、新館は但陽美術館と呼ばれる。
美術作品は、本館のオフィス棟と新館で展示されている。
近代に建設された洋館で、音楽ホールの但陽会館ホールを主施設とする。
国際音楽セミナー「生野ムジカ」の会場である。
本館オフィス棟玄関脇にはオーギュスト・ロダンの「青銅時代」が設置されている。
夜間はライトアップされる。
(Wikipediaより)
※昭和63年まで此処が
丹陽信用金庫の本店だったとか~
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