古/いにしえの面影       其の一阡六百五拾九
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2024年10月17日 木曜日
2024年11月18日 月曜日
アップ日  2025年02月10日 月曜日

奈良県吉野郡東吉野村小(丹生川上神社中社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
当神社の御祭神「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、水一切を司る神様で水利の神として、
又は雨師の神として信仰され、五穀の豊穣に特に旱続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど、
事あるごとに心からなる朝野の信仰を捧げ、水神のご加護を祈ってきました。

今を去る事千三百三十年余り前、第四十代天武天皇白鳳四年(675年)
「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし
霖雨(長雨の事)を止めむ」との御神教により創祀せられ、雨師の明神、水神宗社として
朝廷の崇敬は殊の外篤く「延喜式」(927年)には名神大社に列せられ、又平安時代中期以降は、
祈雨の神として「二十二社」の一つに数えられました。
祈雨には黒馬を、止雨には白馬又は赤馬を献じ朝廷の特に崇敬する重要な神社でありました。

763年より応仁の乱の頃までは朝廷よりの雨乞い、雨止めの奉幣祈願が九六度されていることが
記録にみられることからも当社がいかに重要な神社であったかが伺えます。
しかし、都が京都に遷り戦国時代以降はそのような祈願も中断され、丹生川上雨師明神社も
いつしか蟻通神社と称され、ついには丹生川上神社の所在地さえ不明となってしまいました。

明治維新となり、丹生川上神社は何処かという研究調査が行われ、明治四年丹生村(下市町)、
続いて明治二十九年川上村の神社が、夫々有力視され官幣大社丹生川上神社下社、上社とされました。
蟻通神社こそが丹生川上神社だと大正十一年、当村出身の森口奈良吉翁の精緻な研究調査により
丹生川上神社中社として官幣大社に列格され、ここに従来の二社は三社になったが、
官幣大社丹生川上神社としては一社であります。
そこでこの神社の社務所を当社に移して、下社、上社を統括して祭務を行ってきましたが、
戦後神社制度の変遷により今日では三社別々の神社となったが、当社は「丹生川上神社」と登記されています。

本殿は江戸時代文政十二年(1829年)の建築で、東吉野村の文化財に、
又瑞垣内にある灯篭は鎌倉時代の弘長四年(1264年)銘で、国の重要文化財に指定されています。
(東吉野村観光協会HPより)


前にまだサンと怪しい親爺輪っぱの会
訪れたのですが~

※日本遺産なんですと
日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)は、文化庁が認定した、
地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーである。
各地域の魅力溢れる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって整備活用し、
国内外へ発信することで地域活性化を図ることを目的とした、日本の文化遺産保護制度の一つ。
(Wikipediaより)

高見川(御手洗川)沿い~
紀の川水系ですね。
紀の川(きのかわ)は、奈良県から和歌山県へと流れ紀伊水道に注ぐ一級水系の本流。
河川名は「紀伊国」に由来する。
奈良県内では奈良県南部の地名「吉野」に因み「吉野川(よしのがわ)」と呼ばれるが、
河川名を案内する標識などには水系名である「紀の川(きのかわ)」が
併記される(例:「よしのがわ(きのかわ)」)。
地図や橋の銘板には吉野川と記される。そのほかに「木御川」「紀伊御川」とも呼ばれる。
(Wikipediaより)

※11月でも紅葉はチラホラでした~

紅葉撮影中



東の瀧(龍神の瀧)
方向~

※境内風景

前回撮影できなかった
佐吉さん作の狛犬


※吽

叶大杉



東の瀧(龍神の瀧)
カワラケ奉納しました。

※滝口です。
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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