古/いにしえの面影       其の一阡六百四拾九
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2023年10月27日 金曜日
アップ日  2025年02月08日 土曜日

奈良県桜井市小夫(小夫天神社のケヤキ)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

ケヤキ
最大樹高50m、胸高直径3mに達する落葉広葉樹の高木。
開けた場所に生える個体は、枝が扇状に大きく斜めに広がり、
独特の美しい樹形になる。
樹皮は灰白色から灰褐色で、若木のうちは滑らかで横長の皮目があるが、
老木になるとモザイク状や鱗片状、あるいは大きく反り返って剥がれるなど、
剥がれ方は一様ではなく、幹の表面はまだら模様になる。
一年枝は褐色で無毛、ジグザグ状に伸びて皮目がある。
加工も容易であったケヤキは古くからよく利用されていた。
製材時すると稀に表面に水玉模様が現れることがあり、
「玉杢」「泡杢」などと呼ばれ珍重される。
また、磨くと艶が出て、頑丈で壊れにくい。
このような性質から手元においておける家具、木工品、板材としての
評価が特に高い樹種である。

強度があること、手に入れやすさから建材としてもよく利用された。
大建築への利用は縦引き鋸が使われ出した室町時代以降のことといわれる。
ヒノキほどの寿命は無く、建築後1200年経過した奈良・薬師寺東塔に使われていた
ケヤキ材は破断状態にあったというが、建築後250年経過のケヤキ材は
強度的に問題はないという報告もある。
京都・清水寺の舞台も太いケヤキの柱で支えられている。現在
のものは江戸時代初期に作られたといわれ、建築後約400年が経過している。
地際部の腐った部分だけを定期的に切り取って新しい部材に入れ替える
「根継」という技法で維持しているが、建築後800年を目途に上部も含めて
すべて新しいケヤキ材で作り変えることを予定しているという。

電柱が木製だった時代は用材としてケヤキが高く評価されていた。
(Wikipediaより)



参道が奇麗に~

※泊瀬斎宮旧跡伝承地の碑
大来皇女が日本書紀に登場するのは、
斉明天皇7年(661年)春1月8日、
「船は大伯の海(岡山県邑久(おく))に着いたとき、太田姫皇子が女子を生んだ。
それでこの子を大伯皇女と名付けた」
書紀で「大伯皇女」と書かれるのはここだけで、
は「大来皇女」となっていますので、書紀に従います。
次に、天武天皇2年(673年)夏4月14日、
「大来皇女を伊勢神宮(いせのかみのみや)の斎王にされるために、
まず泊瀬の齋宮(いつきのみや)にお住まわせになった。
ここはまず身を潔めて、次第に神に近づくためのところである」
泊瀬(または初瀬)斎宮は、特定されておりませんが、
小夫天(おおぶてん)神社、または脇本遺跡が候補地とされております。
学問的には脇本遺跡が有力のようです。
(4travel.jpより)

急坂の途中で見返って…

※天神社サン

境外風景

※本殿舎正面

社伝倭笠縫邑・泊瀬斎宮旧跡伝承地の碑
前には~
01 02

※境内風景

社務所

※境内摂社

狛犬

 
狛犬


大きな樹に出会いに~

境内から~

※見上げて~

脇から~

※重なりながら
うねりながら~

脇の道路から~

※根元部分が迫力有ります。
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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