古/いにしえの面影       其の一阡六百四拾六
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2024年12月23日 月曜日
アップ日  2025年02月06日 木曜日

奈良県宇陀市榛原赤埴(赤埴の千体佛)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

赤羽(根)という名は、赤埴(あかはに)から出たものといわれています。
赤には、赤土とか粘土質の土壌で赤く見えるなどの意味があると考えられます。
赤土には、土質が粘土質のために赤く見える、
または鉄さびのために赤く見えるのかの二通りあります
羽(根)は、埴(はに)の転化で羽生の文字が当てられました。
この羽生(はにう)とは、埴(はに)・生(ふ)で粘土のあるところ・
火山灰が堆積して出来た粘土質の土地をさします。
(中略)
日本は火山国なので関東ローム層などの火山灰の赤土が多くあります。
それ故、赤羽(根)の地名は、表土の黒土層が薄くて風で吹き飛ばされたり、
雨で流されたりして赤土の層が露呈した、赤土の粘土質の台地に名付けられた
地名だと言われています。
平城京は奈良時代の日本の首都でした。
大化の改新のあと、京を中心として四方にのびる幹線交通路、
七道(山陽道、東海道、東山道、北陸道、山陰道、南海道、西海道)が整備され、
都と地方が結ばれて、文化、伝統、言葉も全国に広がっていったのでしょう。
(全国あかばね紀行HPより)


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仏隆寺の千年桜
前には

※地蔵尊

大きな道標
右 室生

※肝に銘じます~~

前には茅葺屋根でしたが~
脇の森には赤埴のケヤキ
幹周り:7.2m、樹高:28m、推定樹齢:400年。
冊子「奈良の巨樹たち」より

※ブルーシートが掛っています
此処も茅葺屋根でしたが~

岩山なんですね~

幹周り:4.1m、樹高:14m、推定樹齢:400年。
冊子「奈良の巨樹たち」より 

※角度を変えて~

大和棟の家屋が見え隠れ~

※伊勢本街道の道標

いせみち

そこから
赤埴方面に向かい脇道に入ると~

※脇の二人石像

昭和3年銘
碑名寺

小さな御堂~

※石燈籠の竿?

御堂正面には説明文が

※内陣中央の厨子には高さ46cmの地蔵尊が彩色されて安置されています。
厨子の下に三段の木箱に24cm程の同じ様式の地蔵尊が二体ずつ計六体安置され
その左右の六段の棚には約260体の木製無彩色の小さな字同村が並んでいる。
(中略)
近在はもとより遠国からも参詣され子の欲しい人は願をかけ1体を戴いて帰り
出産後に新たに1体を刻んで2体として納めるという
民俗学的にも貴重な文化財でもあります。
(案内板より)


内部は~
なるほど!
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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